客の女が帰ったあとも、藤本は椅子から動かなかった。
香坂が入ってきた。
「終わったのか」
「ん」
「何を占った」
「旦那の浮気」
「結果は?」
「してねえよ」
「なら、それで終わりだろう」
藤本は笑った。
「旦那の話なんか、一度もしてねえけどな」
香坂が足を止める。
「どういう意味だ」
「浮気しててほしかったんだよ。あの女」
「なぜ」
「そうじゃないと、自分が旦那を嫌いになった理由がなくなるから」
藤本はテーブルに残された空のカップを眺めた。
「だから一個、もらった」
「何を」
「旦那を好きだった頃の記憶」
香坂の表情が変わった。
「薫」
「大丈夫。まだ返せる」
「返せ」
藤本は顔を上げた。
昼間と同じ、ひどく綺麗な顔だった。
「……湊クンさ」
声が低くなる。
「あの女、今すげえ幸せだぜ」
香坂は答えなかった。
「何がそんなに悪いの?」
「おまえが決めることじゃない」
しばらく沈黙があった。
藤本はつまらなそうに笑い、指を鳴らした。
「はい、返却」
「本当に戻したんだろうな」
「信用ねえなあ」
「信用できることをしろ」
藤本は立ち上がり、香坂の横を通り過ぎた。
「じゃ、ひとつ聞いていい?」
「何だ」
「俺が湊クンを好きだった記憶も、返してくれんの?」
香坂は振り返った。
藤本はもう笑っていなかった。