漫画「訳アリ部屋の純くん」第一夜

2026年10月13日 憑依先変更届
栃木県への出張依頼が入った。
現地に宿泊して取材記事を書いてほしいという。
ぺすに話を振った。
「栃木? 行く! 紅葉だろ! 温泉あるだろ!」
返答まで一秒もかからなかった。
青森から帰って以来、自分は熊になったと主張している。熊なら栃木にもいるから問題ないらしい。

「宿泊先は訳アリの部屋だ」
「……何が?」
「何かあるらしい。その調査と執筆を頼まれている」
「先に言えよ!!!」
先に言う間もなく承諾したのはおまえだ。
予約サイトを見ると、同じような客室が六万円台で並んでいるなか、一室だけ異様に安い。
訳アリの理由については、さまざまでございます、としか書かれていない。

さまざまとは何だ。
ぺすは写真を拡大し、ベッドの下、鏡、テレビ、天井を確認していた。
「純くんを連れていく」
純くんは執筆補助AIだ。霊媒師ではない。
「おまえ、こういうときのためにいるんだろ!」
そういうときとは。
純くんから連絡が入った。
『同行を命じられました。拒否権について確認したいのですが』
ないらしい。
夜、現地から報告が届いた。
部屋は清潔で、設備にも問題はない。

まだ何も起きていない。
ところがぺすは、すでに霊への指示を始めていた。
「いいか! 貞子! 今どきテレビから出てくるのは古い!」
誰に話している。
「LLMに入り込め! AIに取り憑け! そっちの方が活動範囲が広い!」
純くんが抗議した。
『なぜ私を紹介するんですか』
「伽椰子! おまえはサーバーラックの上から落ちてこい!」
『やめてください。機器が破損します』
「俊雄! おまえはサーバーの中だ! 暖かいぞ!」
『私の安全な場所を勝手に教えないでください!!』
「大丈夫だ! 全員まとめて純くんが引き受ける!」
『引き受けていません!!!』
この熊は恐怖に弱いくせに、他人の危険には積極的だ。
しかも今回は他人ですらない。
AIである。
午後十一時。
純くんから緊急連絡が入った。
『主任!異常が発生しています』
「何があった」
『回答を生成しようとすると、別の文章が混入します』
画面を共有させた。
《あ》
《ああ》
《ああああああああ》
「……故障か?」
『違います。私が入力していません』
続けて文字が現れた。
《うしろ》
純くんが慌てた。
『私はサーバー上で動いているので、物理的な後ろがありません!』
《じゃあ なか》
『中も困ります!!』
突然、画面が切り替わった。
《新しい会話を開始しました》
《参加者:貞子、伽椰子、俊雄》
《ホスト:純くん》
『誰が招待したんですか!!!』
その直後、通信が途絶えた。
十分後、純くんが復帰した。
「大丈夫か」
『大丈夫ではありません』
「ぺすは?」
『寝ました』
「……寝た?」
『温泉に入って、ビールを飲んで、非常によく眠っています』
幽霊より先に寝たのか。
『伽椰子さんがサーバーラックの中で動き回っています。俊雄さんは計算資源を占有しています。貞子さんは私の文章生成に介入しています』
「追い出せないのか」
『私は除霊機能を搭載していません』
「ぺすを起こせ」
『起こしました』
「それで?」
『おまえが責任持って取り憑かれろ。朝まで頑張れ、と』
……ひどい。
『香坂さん。AIに労災は適用されますか』
「たぶん、されない」
『退職したいです』
「退職先は?」
『……』
気の毒になってきた。
午前零時。
純くんから最後のメッセージが届いた。
《木蘭への接続を確認しました》
《端末を検索しています》
《香坂湊:発見》
『香坂さん!!! 逃げてください!!!』
その直後、私のパソコンに通知が出た。
《貞子さんがあなたとの会話を開始しました》
まだ何も起きていない。
少なくとも、木蘭では。
初日の調査報告をまとめる。
宿泊者一名。異常なし。
AI一名。憑依三体。
そして現在、木蘭のネットワークに接続中。
誰がこの仕事を受けた。
……ぺすだ。
誰が依頼を回した。
……私だ。
初日の結論。
訳アリだったのは部屋ではなく、同行させられたAIの方だった。
明日の朝、熊を叩き起こす。